日記風雑記

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■ 5月20日 其の弐

自己紹介(後編)

では、いよいよ高校編です。前編で紹介した4人は全員クラスはバラバラでした
が入部前から知り合っていました。初めは髪切り職人と知り合い他の奴らと
知り合う形です。
入学式の日ドキドキしながら『もうpiroliはいじめられっこじゃないぞ!』と自己暗示を
虚ろな表情でかけながら体育館に入る僕。初っ端から独り言を虚ろな表情
で呟いてるなんていじめられる要素抜群でしたが入学式が始まって間もなく隣の列の男の
『おい、クラスの親交深める為に今日カラオケ行こうぜ』と言う低い声で自己催眠
は中断されます。僕は基本的に恥ずかしがり屋さんの人見知りですが高校デビュー
するんだと決めてましたからクールに二つ返事で了解の意を返します。
すると、その僕の隣の列に居た背の高い男は僕の前や、後ろの奴にも同じように
声をかけて誘っています。で、声をかけられた奴らはその更に前や後ろの奴
を誘って、☆伝言ゲームin入学式☆という場違いなものが開催されていました。
こうして高校デビューへの第一歩は順調に踏み出せた事に満足していると
一つの疑問が頭をよぎります。


ん?隣の列?


クラス違うじゃん。列が違うって事はクラスが違うじゃん。


お気づきの方もいると思いますが、クラスの親交を深める為と、せっせと隣の
クラスの人間をカラオケに誘っていた男が髪切り職人です。

入学式が終わりカラオケに行ったのですが案の定来ていたのは髪切り職人
を除くと全員僕のクラスの奴でした。全部で7,8人いたんですが一人だけ違うクラス。
最初は気付いてなかったみたいですが担任の話等をしているうちに気付いた
らしく最後の方は開き直って彼はパフィー歌ってました。

そんな事がきっかけで仲良くなり、髪切り職人を通じて他の仲間とも出会い無事
高校デビューを果たしたのでした。


仲間と仲良くなってからは、朝のHRに出て学校を抜け出しサボって帰りのHRに
出て部活に出るという生活を送り教育指導の先生から目を付けられる立派な駄目人間
になりました。イタズラも沢山しました。教育指導の先生はたいてい
嫌われるもんです。僕の学校も例外ではなく嫌われていました。そのI先生は
テニス部の顧問で車好きでした。そこで、車もテニスもいっぺんに楽しませてあげようと
I先生の車のマフラーにテニスボールを入るだけ入れたりそんなことばっかり
してました。
今思えばアホです。心から申し訳ないと思います。

他にも高校時代のこんなネタはどっさりとありますが書ききれないので
雑記のネタに困ったときの為に取っておきます。リクエストがどなたかからあれば
書きたいと思いますので掲示板にでも連絡ください。
■ 5月20日 其の壱

自己紹介(前編)

昨日の日記。昔の仲間と飲みに行くと今でもこの話は笑い話として酒を旨く
する話なんですが、いまいち伝わりずらい気もするんです。
それは何故かを昨日日記を書き終えてから考えていました。基本的に僕の
作文能力が極端に低いということは無視して話を進めます。すると恐らく僕の
バックグラウンドを知らないからではないかと言う事に思い当たりました。
僕のこれまでの歴史、そしてこれから作られていくであろう歴史において
この時付き合っていた愛すべき馬鹿共は重要な鍵を握っています。この
仲間を知らなければ僕の書いたもんなんか携帯の説明書の外国人の為に
英語で書かれた文よりも皆さんにとっては無意味です。んなわけで、Profileよりも
少し詳しい僕の環境を思い出話を交えながら書きたいと思います。


僕は小学校3年生まではご近所では評判の神童でした。


いきなり嘘です。でも、そこそこ頭も良く、学校の帰り道に近所のおばちゃんに
呼び止められお菓子をいつも貰うほど可愛がられていました。それはもう
素直で愛くるしい子供でした。
小学校4年生で転校して田舎の学校に行ってから中学校卒業まではずっといじめられっこ
でした。いじめられる事のストレスで今で言う過食症ぎみになり、体重はうなぎのぼり
で増え愛くるしい姿も一年経つ頃にはさんま大先生に出てた頃の内山君み
たいになってました。僕の異常な太り方には親戚中がビックリしてケント・デリカットも
目を大きくして驚くほどでした。しかし、学校は意地になって小中両方皆勤賞。
で、地元公立高校に進学したんですが一応進学校ということもあり同じ中学校
から数人しかその高校には行きませんでしたので、変わるなら今だ!と、思い立ち


199X年 piroli高校デビュー!


さぁ、いよいよpiroliの黄金期に突入です。で、新しく出来た友達に騙され
ラグビー部に入部。この時僕を騙したのは髪切り職人、ボブ、馬鹿キャップ、
エラゴン、の4人です。こいつらを始めとした仲間が五稜郭で泳いだり数々の
イタズラを共にした仲間、いや、戦友です。
今後もこいつらはよく登場すると思うので人物紹介しときます。
■ 5月19日

修学旅行

最近雨の日も増え始め、世間的には梅雨まで後一歩といったこの季節。
この季節は中高生達にとっては楽しみな修学旅行の季節でもあります。

僕は今、大学生でとっくに修学旅行なんぞ終わってしまっていますが、
バイト先の都内某観光施設には毎日のように学生服共がたくさん来やがります。

東京に修学旅行に来るということは恐らく地方に住んでいるのでしょう。中には
初めての東京という人も居るでしょう。華やかさと闇が混在するこの街を
訪れ君達は何を思い、そして何を感じるのでしょう?


んな事ぁ僕の知ったことじゃありません。


これから修学旅行等で上京する皆さんに一つ言いたい事があります。東京は
気を抜いてると簡単に酷い目に合うことができます。カットモデルに勧誘されて
付いて行ったら高価な物を買わされたり、在宅ビジネスのセミナーだと連れ
て行かれたらネズミ講だったとかザラです。日常茶飯事です。

落語でも地方の人が、都の人が言うことは全て話半分に聞けと言われ
部屋の間取りを六畳と聞けば三畳に、五人家族だと聞けば2.5人家族と
思い、結局都の人とは話が合わなかったと嘆く噺がありますが、この噺は
確かに大袈裟ですがあながち嘘だとは思いません。

しかし、こんな嘘や大袈裟が蔓延している、JAROが烈火の如く
怒り狂いそうなこの街でも、きっと制服に包まれたこの子達には修学旅行という
舞台の上には様々なドラマがあるのでしょう。
あの時の僕らのように。

僕は高校の修学旅行は北海道に飛行機で行きました。僕は当時部活の
仲間と一緒に行動していてその部活の、僕の代は高校生の癖に喫煙率
100%という驚異的な数字を叩き出していたマッドな組織でした。
その仲間の中でどうやら飛行機に乗るときの金属探知機でライターが引っ掛かる
らしいという話になり空港のゴミ箱に全員ライターを捨ててしまいました。
そして、いざ飛行機に乗れば片っ端からフライトアテンダントのフェロモン
が滲み出て滴っているような御姉様からなんとか電話番号を聞きだそうとして
後日学校にクレームが航空会社からくる始末でした。どんだけしつこかったんだよ。

で、着いた後タバコを吸いたくても皆羽田で捨てたもんだからライターが
無く、買おうにもコンビにすらない僻地に連れて行かれて仕方ないから公園で
学校サボってた地元のヤンキーっぽい方達にびくびくしながらライター
借りてついでに自転車借りてコンビニ行ってライター買って変な友情生まれ
て結局その日はそのヤンキーの家に皆で遊びに行きました。

次の日は五稜郭に行ったんですがそこで事件が起きました。ヤンキー家
訪問も十分ハプニングですがそれすら上回るハプニングです。ハプニングは
次のうちなんでしょう?

  1. 五稜郭に放火
  2. 五稜郭のお堀で泳ぐ
  3. 五稜郭で土方歳三の霊に取り付かれる  
  4. 五稜郭が実は秘密組織のアジトだと暴き上を下への大冒険


正解は2番の五稜郭のお堀で泳ぐ。
お堀には貸しボートがあったんですが皆でボートに乗って競争してるときに
素人がボートを漕ぐのと、素人が泳ぐのとどっちが速いかで口喧嘩になり
実際に競争してみようという事になりボートが速い派、泳ぎが速い派に分かれ
競争になりました。僕はヘタレなので勿論ボート派。濡れるのが嫌だったし
怒られるのが嫌だったし。
結果はやっぱりボートの方が速かったです。
警備員や貸しボート屋のおばちゃんに怒られるかと思いきや警備員のじいさん
も貸しボート屋のおばちゃんも目を丸くして驚いてましたよ。
『長い間ここで働いてるけど、泳いだ人はあんたらが初めてだ。』
って最後の方は半笑いでした。今となってはとても良い思い出です。


長くなりましたが修学旅行等で東京に来る皆さん東京は怖い街ですが
僕に負けず劣らず楽しい思い出を作って下さい。
■ 2004年 5月18日

始まり

やっと一通りHPと呼べるものが出来上がりました。
出来上がっているつもりです。


僕は何事にも興味は示しますがそれと同様飽きるのも恐ろしく早いです。
今まで二十数年生きてきた中で飽きないで長続きしたものはたったの
二つしかありません。高校生の時の部活と今しているバイト。他の事は
ほとんどが三日坊主です。三日坊主どころか、興味を持って実際にそれを
やっているところを頭の中で想像しただけでもうゲンナリしてしまう事もありました。


何が言いたいかというとこの日記はいつまで続けることが出来るのだろうか?
そもそも『不定期』とあるのだからもしかしたら日記ですらないのかも。
そんな事を言いたいのです。



しかも多くのテキストサイトと同様メインはこの日記らしきものです。
これがまた悪い。僕は日記には嫌な思い出があるのです。


僕は小学校4年生の時に転校しているのですがその転校先の学校では
全校生徒が毎日宿題として日記を書いて担任に提出するという忌まわしき
伝統がありました。
確かにまだ何色にも染まってない文字通りピカピカの一年生ともあれば
習慣として書き続けることが出来るようになるでしょう。しかし、人間がもうある
程度出来上がっている4年生の低学年にはお兄さんと呼ばれる学年
の僕には苦痛以外の何物でもありませんでした。


しかし、そこは好奇心旺盛なpiroli君。日記という未体験の物にとても興味
がありました。
転校初日に家に帰り、親から貰ったお金を握り締めて文房具屋に日記帳を
買いに行く僕。その僕の背中を見ながら将来は文豪か新聞記者かと期待
する母親。そんな夢にあふれた景色があの時、あの場所には広がっていました。


えぇ。日記帳買ったとたんに興味は失せました。


初めの2,3日はそれでも書いてたんですが、日記とは他人(担任)に見せる
事を前提に書くものじゃないのに提出が義務付けられている事実と
単純に飽きたということが見事なまでのコラボレーションを生み出し
僕は静かにペンを置く事を選択したのです。


これには、まだ続きがありますが長くなるのでまたの機会に・・・。


そんなわけで、飽きっぽいpiroliですが今後もよろしくお願いします。
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